第5回 「再会、そしてファイナルヘ」


私が別のプロジェクトで感触を掴んでいたころ、キャンディーズは
解散宣言をして、あの後楽園に向けてツアーを続けていました。
そんなある日、松崎は私にもう一度キャンディーズ作品を作るよう
に依頼してきたのです。
もちろん、嬉しかった。新しいノウハウを、キャンディーズにぶつ
けて見ようと考えました。


「わな」

「わな」の打ち合わせは印象深い経験です。この時ソニーはキャン
ディーズの解散に向けて、強力な布陣をひいていたようです。担当
プロデューサーは酒井政利氏。待ち合わせ場所はTBSの地下のティ
ールームでした。
私は他の多くの作家と同じように、最初の打ち合わせで酒井氏に魅
了されました。実に無駄のない、そして意表をついた依頼に、私は
創作意欲をかき立てられました。彼はこう言っただけです。「キャ
ンディーズは最近とっても綺麗になりました。キャンディーズがも
っと綺麗に見える作品をお願いします」 酒井氏のトークマジック
は音楽業界では有名です。しかし、マジックにかかって良い作品が
できるなら、マジックを楽しむのも良いでしょう。

作詞家の島武実さんは確か遅れてきました。私達は初対面でした。
しかし私は、島氏のあまりに感じのいいキャラクターに触れ、いっ
ぺんにファンになったほどです。彼は、彼独特の誠実さで出来たば
かりの歌詞を手渡してくれました。歌詞を見てから30秒後に私は言
いました。「曲は出来ました」!そう、ホントにできていました。
後は微調整をするだけ。それくらい音楽的な歌詞だったのです。私
は歌詞に忠実にメロディーを思い浮かべれば良かったのです。歌詞
を手にした時、私はいつもすぐには読みません。ただ眺めるだけで
す。そしてメロディーが出来るか出来ないかは、眺めただけでわか
ります。良くできた歌詞は眺めた時にいくつかの言葉が飛び出して
きます。そしてリズムを感じます。島武実氏の詞は、20年後の現在
でもなお、新鮮に感じるセンスがちりばめられていました。

歌詞のお陰でメロディーはすぐに完成しました。いよいよレコーデ
ィングです。ここで問題が発生します。新しいレコーディングセッ
ションのスケジュールが合わないのです。1年間の間にメンバーは
超 売れっ子になっていました。しかしなんとか一日だけ、林立夫、
松 原正樹、斎藤ノブの3人だけ揃う時間があったので、この3人に
さらに若手のベーシストを加えてレコーディングをすることにした
のです。
ところがレコーディングの当日、さらに問題が発生しました。
その日は東京中が大渋滞。しかもスタジオは交通事情のもっとも不
便なアルファースタジオ。ユーミンが誕生した有名なスタジオです。
定刻5分前、林立夫は電話で連絡をしてきました。「あと1時間半は
かかりそうだ」。当時のレコーディングは1曲に2時間しか使いませ
ん。つまり、林立夫を待っているとレコーディングが出来ません。
そこで私と松崎は当時としては乱暴な決断をしました。ドラムレス
でレコーディングをする。そう、実際にやってみると本当に乱暴で
した。いつもなら3テイクで完成するレコーディングが実に1時間半
以上かかったのです。あたりまえです。悪戦苦闘してドラムレスの
テイクはなんとかできました。ところが圧巻はこれからです。なに
しろドラムをあとからダビングするのですから! 責任感の強い林
立夫は気にしていました。自分のせいでレコーディングの形態がか
わったことを。彼はメンバーの全員に謝罪し、大急ぎでセッティン
グをすませると、いつものように慎重にヘッドホーンをかぶり、準
備ができたことを合図してきました。ドラムレスのテープが回りま
す。「わな」は難しい曲です。特にピアノとソリになる6連音符は
問題です。ところが驚いたことに彼は、私達の不安をよそに、1テ
イクで完璧なプレーをしたのです。もちろん初見です。プロという
ものは凄いものです。レコーディングは時間内に終了し、そしてあ
の緊張感に溢れたサウンドが完成しました。

プロと言えば、この頃のキャンディーズはプロでした。「わな」の
ボーカルレコーディングで私は、3人の成長を目のあたりにしたの
です。私のアドバイスはもう必要ありません。少しさみしい気持ち
にもなりましたが、初心を忘れずにトレーニングをしてくれた3人
に感謝し、また同じミュージシャンとして尊敬を感じました。


(つづく)