第4回 「キャンディーズとの別れ」


「春一番」はチャートを駆け上がり、この時までのキャンディーズ
としては自己ベストの3位になったのです。しかしこのとき私は、
少し心配をしました。「春一番」は個性が強い作品です。そこでも
し、スタッフがこの作品を追い掛けたら・・・・。という不安です。
不安は現実になり、次の作品で私は不本意な制作をよぎなくされ、
暫く、キャンディーズから遠ざかることになります。

告白すれば「夏が来た」はキャンディーズの為の作品ではありませ
ん。タイトルも違っていました。渡辺プロダクションは2ひき目の
ドジョウを狙いましたが、ドジョウはいませんでした。
そして私は、急速に興味を失っていったのです。キャンディーズに
ではなく、キャンディーズのプロジェクトにです。

それから、1年が過ぎて、「暑中お見舞い申し上げます」の時も、最
初の依頼は私のところにありました。私は反対しました。「春一番」
「夏が来た」ときて、いくら1年が過ぎたからといって「暑中お見
舞い申し上げます」では、ボーカリストに恥をかかすようなものだ
と思ったからです。本気になれないまま、私はこの作品の作曲を辞
退しました。
メーカーのディレクーターも変わっていました。
そして、私は新しいディレクターの考え方には賛同できませんでした。
私は今でも「ただ売れるだけの音楽」は意味がないと考えています。

私が暫くキャンディーズから遠ざかっている間に、キャンディーズ
の制作方針は売り上げ至上主義に変わっていったようです。少なく
とも私はそう思いました。キャンディーズが色物のような作品、例
えば「優しい悪魔」で注目されたとしても、これは一過性の作品に
しか過ぎません。キャンディーズはピンクレディーとは違います。
音楽的で、上品で、そしてよりミュージシャンに近いグループです。
もっというと、若者の音楽に年寄りが口を出すと、ろくなことはあ
りません。今も昔も同じです。一部の天才を除けば、40才を過ぎて
若者の音楽に口を出すことは反則です。

当時私はまだ27才、別のボーカリストと一緒に新たな挑戦を始める
ことにしました。

新しい挑戦は、より音楽的なレコーディングシステムです。スタジ
オミュージシャンにも新しい人材を登用しました。Dr.林立夫、Bass.
後藤次利、Piano.佐藤準、Guiter.松原正樹、水谷公夫、Perc.斎藤ノブ、
この最強のリズムセクションは神田広美のレコーディングからスタ
ートしました。


(つづく)