イタズラッ子

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キャンディーズって何?

ワルぞろい!3人3様のイタズラッ子

■スー

 学校でわるさをした思い出と言ったら、中学(足立区立四中)の3年のころ、英語の女の先生をみんなしていじめたことくらいかしら。
 その先生、結婚してもう子供もいるくせに、すごい泣き虫でヒステリーなの。だから、クラスのみんなが嫌っちゃって、時間中に先生の言うことをきかなかったり、わざとトンチンカンなことを言ったりするのね。そうすると先生はたちまちヒステリーを起こして、オイオイ泣きだしちゃうから、授業はメチャクチャ。私たちとしてはそれがねらいだったんだけど、おかげで英語の勉強がちっともはかどらなくて、あとで苦労したわ。
 もうひとり、数学の塚越という先生がいて、この先生はとっても熱心に教えてくれるし、ふだんはとてもやさしいのね。でも、ときどき私たちがかんたんな問題がわからなかったりすると「このくらいの問題がわからんのか!」ってすごい声でどなって、立たされちゃうの。
 あるとき、私がそれをやられたんで、クスンクスンと泣くマネしてやったの。そしたら、先生は急にオロオロとして「まあいい、すわりなさい」なんて、まるでやさしい声で言うじゃない。私はしめしめと、心の中でペロリと舌を出したものよ。それがまんまと成功したもんだから、それからというもの、クラスのみんながマネしはじめて、塚越先生が怒るたびに、泣きマネでそのホコ先をかわすようになったの。私ってほんとにワルイ子!

■ラン

 私も先生にいじわるした話。日大二高のとき、英文法のH先生の授業というと、みんなブルーな気持ちになったものなのよ。なぜかって言うと、H先生は、教室にはいってくるとすぐ私たちに背中を向けて、黒板になにか書きながらひとりでボソボソしゃべってるだけ。終わるまでほとんど振りむかないんだから、まるで面白くないわけ。
 だから、私たちは授業なんか聞かないで、かってにペチャペチャおしゃべりしちゃうの。それでも先生はまるで無関心で、ボソボソつづけてるのよ。
 ところがある日、なにかがおかしくて、みんないっせいにドッと笑ったのね。すると先生は、突然ピタッとしゃべるのをやめて、そのままスッと出て行ってしまったの。
 私たちはしばらくあっけにとられてシーンとしていたんだけど、少したったら、先生がまたのこのこと教室へもどってきたのよ。そして
「なんにも言わず出て行ったのは、先生がわるかった。反省している。授業をやり直そう」
 そう言ってまた授業をはじめたの。でも、その授業がやっぱり黒板に向かったままでボソボソ。私たちはまたガヤガヤ。結局、先生のやったことは、何の意味もなさなかったわけよ。それからも、H先生の時間というと、わざとみんなでうるさくして、いじわるやいやがらせをつづけたものよ。

■ミキ

 私の行ってた聖ドミニコ学園は、カトリック系の女の子ばかりの学校で、すごく規律がやかましいの。
 中1になったばかりのころ、小学校では給食だったがおべんとうになったものだからめずらしくて、クラスのみんなで早弁をしちゃったことがあるのよね。それがあとでバレて、シスターにひとりづつ呼び出されて、こっぴどくしかられたの。それがしかられはじめ。卒業するまでに、いろんな先生になんどしかられたことか……。
 スーやランの話に、授業の面白くない先生のことが出てきたけど、私の場合は、最高につまらなかったのが、社会科のNという男の先生の授業。日本史を教わったんだけど、まるで味もそっけもなくて、私なんかおかげですっかり歴史がきらいになっちゃったくらいなの。
 そのくせ、言葉づかいはなんかは「そうじゃねえよ」とか「おめえら」とか、ヤクザっぽい口調を使って、それがまたわざとらしいもんだから、みんなに総スカン。
 それでいちど、全員で授業をボイコットしちゃおうということになったのね。授業のはじまる前に、みんなして机を1カ所に集めてかたまり、先生がはいってくるなり、声をそろえて「出ていけ!」とやったわけ。
 先生はポカンとして、しばらくのあいだ入口で立ちすくんでいたわ。そして、そのうちに黙って出て行ってしまったの。そのまま、いつまでたってももどってこないんで、私たちさすがに気になって、そっと見に行ったのね。そしたら、廊下でN先生がうつむいたまま、じっと立っているじゃない。近づいてみると、シクシク泣いているのよ。あのベランメエのN先生がよ、私たち、おかしいみたいな、ちょっと気の毒みたいな、複雑な気持ちだったわ。

写真記事:月刊明星76.7号より