子供のころ

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キャンディーズって何?

子供の頃は?

SUEはオキャンだった
 スー。本名・田中好子。昭和31年4月8日、東京は千住生れ。
 小さい時からたいへんなワンパク娘で、いつも近所の子を集めてはガキ大将になり、男の子をいじめたり、塀の上から落っこって医者にかつぎこまれたり。千住第一小学校にはスクール・バスで通っていたが、帰りにそのいちばん前の席にすわりたいばっかりに、掃除当番もさぼって、いつもまっ先に車に乗りこみ、先生にしかられてばかりいた。
 4年生の時から町の民謡研究会に入り、発表会にはユカタを着て出場、「真室川音頭」や「ソーラン節」などを歌った。その頃からきれいなソプラノで、町内の大人をびっくりさせた。“こりゃ大物になるぞ”
 初恋は足立区立4中の時。3年間、ずっと隣の席だった男の子と、“相思相愛”の仲になり、学校中で評判になった。でも、デートを約束したのは1回だけ。それも相手が時間をまちがえて来なかったのでスーは傷ついて、せっかくの初恋は無残に終わってしまったのです。

 

上野動物園での4才のスー 橋の下でひろわれたなんていわれ なやんでいた

お母さん2才のラン 2階に外人が住んでいたので 英語はペラペラだった
RANは意地っぱりだった
 ラン。本名・伊藤蘭。昭和30年1月13日、東京は武蔵野市生れ。
 すごい意地っぱりで、生まれる時から、なかなか出てこないで、器械で引っぱり出されたほど。3才から幼稚園に通ったが、行くのがいやで毎朝ワーワー泣いては、お母さんを手こずらせた。そのくせ教室に入るとケロッとしてニコニコ笑ってたという。調子がいいんだから。
 大和田小学校では美術クラブに入って、先生からスジがいいと、たいへん期待された。荻窪中学に入ると演劇部に入部。自分で脚本を書いたり、演出から主演までやって大活躍。都内の中学芸術祭で「雪の女王」を演じて第2位になったこともある。なにしろ主役でないと気がすまないタチで、そのためにはそうとう強引にツッパったりしたので、上級生あたりには、かなりケムタイ存在だったみたいだ。
MIKIは内気だった
 ミキ。本名・藤村美樹。昭和31年1月15日、東京は駒場生れ。(注:間違い。本当は福島県生れ)家がカトリックで、幼児洗礼を受け、クリスチャンネームはマリア・ローザ。そのせいかどこにいるのかわからないほどおとなしかった。父は音大の声楽家教授、母はピアノの先生だったが、両親からとくに音楽教育を受けたことはなく、ピアノも自己流でおぼえたし、音楽の知識も自然に身についた。聖ドミニコ学園小学部では、3年の時からコーラス部。中等部の1年からは創作ダンス部に入った。
 中2の夏、創作ダンスの全国コンクールがあったが、そのための合宿の直前に、ボール遊びをしていて左の小指を骨折。(注:ドッチボールだそうです)4日間は痛くて眠れなかったけど、それを押して合宿に参加して、死にものぐるいでがんばった。おかげで、コンクールではみごと2位に入賞。内気な反面、負けん気な面も持っている。

小学6年のミキ 日曜学校で「汝の隣人を愛しなさい」なんて勉強していた
写真記事:月刊明星75.9号より