第1回 「出会い」


私が「春一番」を作ってから、早いものでもう四半世紀が過ぎまし
た。しかしキャンディーズと一緒にレコーディングを楽しんだ時間
は、今でも鮮明に思い出すことができます。20代の私にとって、す
べては大きな目標に向っての挑戦でした。
「日本の音楽を変える」ロックで育った作曲家の本心です。
そして25年後現在、20年も前に解散したアイドルグループが、今も
なお絶大な関心と指示を獲得していることに、作詞、作曲、編曲を
担当させていただいた私は、深い喜びとともに誇りを感じます。

それではキャンディーズは何故現在でも新鮮なのでしょうか?
このことは決して偶然に起った現象ではありません。
時間の超越はアーティストとスタッフの双方が、一つのビジョンに
基づいて活動した結果です。もちろん当時は、これ程の成果として
完成する確信をもっていたわけではありませんが、自分達のプロジ
ェクトが一過性のものにならないように、すべてのスタッフが細心
の注意をはらっていたのです。

私のことで言えば、作曲と編曲を担当する作曲家として、キャンデ
ィーズの歌う作品がエバーグリーンになるような創作方針をつらぬ
きました。音楽は刺激だけに片寄ると一過性になり、普遍性を高め
るとヒット性が下がります。作曲家として最も苦労した点は、3次元
の広がりと時間軸との融合であり、またそのことが楽しみでもあり
ました。
そしてそんな若年音楽家にありがちな難しい音楽的要求を、快く受
け入れ表現してくれたキャンディーズと、実験的な取り組みにまで
辛抱強く支援してくれた制作スタッフに、心から感謝しています。





さて、キャンディーズと私との出会いは、プロデューサーの松崎澄
夫とのたわいもない会話から始まりました。松崎澄夫は当時渡辺音
楽出版の若手プロデューサーとして活躍を始めたばっかり。私は、
スタジオミュージシャンを卒業して作曲家になったばっかり。そし
てふたりともまだ、24才になったばっかり。キャンディーズの3人
は17才でした。
さらに遡ること7年前、松崎澄夫と私が17才の時、私達は同じバン
ドのメンバーとして、毎日のハードスケジュールをこなしていまし
た。松崎澄夫はボーカル、私はキーボード。キャンディーズの音楽
の原点は、実はこのバンド、その名もアウトキャストにあったので
す。

アウトキャストは、当時若干17才でプロギタリストとして頭角を表
していた水谷公夫がリーダーでした。そんな彼が東京のアマチアバ
ンドの全てを回って、各パートでもっとも優秀なミュージシャンを
集めた、実力第一主義のグループサウンドがアウトキャストです。
あまりに実力主義にかたよったため、大きなセールスを達成するこ
とはありませんでしたが、バンドとしては最高のバンドだったと30
年以上過ぎた今でも思っています。

それはともかくとして、私は久しぶりに逢った松崎に、最近TVで見
たとても可愛い3人組の話をしました。そして大胆にも、その3人
の組のようなグループを企画したらどうかと言ったのです。
ところが松崎の答えは私の意表をつきました。いつものように松崎
はこともなげに言いました。
「実はそのグループは俺が担当しているんだ」・・・・。
私は驚きを隠せませんでした。私が最も可能性を感じたグループの
プロデューサーを、まるで兄弟のような親友が担当している・・。
私の人生はとてもラッキーな出来事に恵まれてきましたが、このこ
とは中でも最も大きな出来事だったと思います。しかしそれも後に
なってのこと、当時の3人は、まだビックヒットを持たない新人で、
しかも17才。当時は、女の子のグループは売れないというジンクス
まであったのです。
そしてその時はじめて私は、彼女達がキャンディーズであることを
知りました。

キャンディーズと最初に逢った日・・・・。 実は私は最初の出会
いを覚えていません。正確にいうと幾つもの情景は明確に覚えてい
ますが、どの情景が最初の出会いかを特定することは出来なくなっ
てしまいました。
初期の情景はレッスンです。私は松崎に頼んでキャンディーズのボ
ーカルトレーニングを担当させて貰ったのです。リズムの考え方、
正確なピッチとは、アーティキュレーションとは、テンションコー
ドとハーモニーの組み立てについて。17才のアイドルには難しすぎ
るテーマについて学習し、またトレーニングを繰り返しました。
そして、レッスンと平行して、作曲と編曲を担当するようになり、
徐々に3人の個性がわかってきました。

ラン、スー、ミキ。 キャンディーズの素晴らしさは、ラン、スー、
ミキの音楽的個性によって90%以上が確定します。多くの人達は、
彼女たちのカワイラシサに惑わされて気がついていないかもしれま
せん。しかし本当はラン、スー、ミキの音楽的個性こそキャンディ
ーズなのです。

ランは、時代を先取りしたリズム感、さらにアルトからソプラノま
でをカバーする広い音域を持っていました。

スーは、サウンドを包み込む音色、安定した歌唱力、そして何より
も中音域での説得力が貴重でした。

ミキは、しっかりと音楽教育に裏打ちされた読譜力と絶対音感で、
音楽的要になってくれました。

私は、それまで漠然と行われていたコーラスを、明確なパートにわ
けることから始めたのです。ミキはアルトにまわって正確な音程で
支え、スーはメゾソプラノとしてサウンドを安定させ、ランはソプ
ラノとしてコーラスを輝かせる。私達はキャンディーズでなければ
ならないサウンドを目指しました。


(つづく)